安田の長文ツイート

ツイッター:@xNelonex

ウキウキワクワクブログ

みーんなー!げんきー!?

 

(こういう時はね、大きい声で返事するんだよ)

(できるよね?)

(できるだろ?)

(早く声上げろ!みんなお前を待ってんだよ!)

(お兄さんが無理矢理声を出させてやろうか?)

 

はーい!みんなもげんきみたいでおにいさんうれしー!

 

みんなはおにいさんのことすき?

 

(好きだよね?)

(好きって言って。)

(お兄さんが叩いたから悪かったのかな?)

(××くんは一回じゃわからないのかな?)

 

ありがとー!

 

おにいさんもみんなのことすきだよー!

 

きょうはなにをしよっかー?

 

(ほら、体操って言って)

(違う違う、ゲームじゃない)

(お前が手に持ってるそれ、スクラップにしてやろうか?)

 

たいそうかー!おにいさんもそうおもってたところだったよー!

 

じゃあいくよー!?

 

ミュージック、スタート!

 

たーてのいとーはあーなたー♪

 

よーこのいとーは?

 

せーの、

 

わたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたし!!!!!!!!

身の程と周りは知らない方がいい

どうも〜、資本主義に染まってしまった男です。みんなはこんなことを思ったことはあるかな?

 

「何をしたって上には上がいる」

 

資本主義に染まってしまった男はね、常に負けてきたんだ。どこで勝敗を判定しているかだって?そうだな。目に入った時かな。Twitterは毒であるということは言わずもがなであるが、人間が比べる対象が身の回りからネットを通じて世界中になってしまうツールであるという一面を持つ。俺はSNSを通じて世界を知ると同時に、自分の身の程も知ってしまった。当然、身の回りと世界で比べると、世界の方が負ける確率は高くなる。知ってしまうから、自分のことを客観的に見る情報が増えて、身の程を知ってしまう。俺は情報によって自信を無くしてしまった。

 

だから、みんなで知ることをやめないか?

 

どうすればいいかって?周りと接することをやめる。行動範囲を狭める。ネットをやめる。

簡単だろう?

 

ここに、新たな党の設立を宣言する。

 

「知ることから国民を守る党」だ。

 

知らない人間は強い。今こそ我ら日本人は立ち上がる時だ。一致団結して、、、

 

団結したら周りを知ってしまうだろうが!

すいませんでした。

この度は、仕事がうまくいかなかったという些細なことで周囲に当たり、死にたいなどと言った極端な発言とブログを投稿してしまい、申し訳ございませんでした。

言葉だけでは許されないことをしてしまいました。

現在はTwitterをやめ、反省し、落ち着いています。

次からは自分が何をしようとしているのか、周囲にどのような影響を与えてしまうのかよく考え、律していきます。

死にたい

仲間がいない。誰も俺に興味がない。通っている心療内科の先生は、俺が「仕事が辛い」と言うと「誰にでもできる仕事なんてない」なんて言って、聞いてくれない。他にも何回か通う中で相談したけど全部流された。診察費返せよ。こんなゴミみてえな診察に1700円も払う価値ねえよ。現実にも仲間がいない。そんな人はネットをやればいいじゃん?ネットにも仲間がいない。俺が落ち込んでても誰も興味がない。俺が死んだって興味ない。友達なんてただの見た目だけ。

俺の人生良かったことない。上手く行ったこともない。何もかもダメだった。人間関係も上手くいかなかった。

何で俺だけダメで、他の人たちはうまく行っていて仲間がいるのか。俺が何かおかしいのか。

心の底から生まれない方が良かったと思う。これから先も何もうまくいかないだろう。

退屈でしょうがない。

Twitterに対する態度

俺は何度もTwitterをやめようと思った。1回目は受験勉強に専念するためだった。だが俺はTwitterの誘惑に負けて1ヶ月後には戻ってきた。2回目は鬱によるものだった。でも俺の頭の中はもうTwitterで埋まっていた。すでにTwitterのない生活が考えられなくなっていた。1週間後に帰還。今はどんなにイーロンマスクが改悪を重ねたって、俺はTwitterが消える最後の日まで続けるだろう。

 

と言いつつ、俺は特にツイート数が多いわけでもない。日常で何も起きていないこともないが、そんな希少性のないことを発信したところで、見て読んだ人の時間を無駄にしてしまうだけだと考えているから、しない。そう、俺が人と話すときに考えていることだ。俺と話している人の時間を無駄にさせたくないから、俺は相手を楽しませようとする。思いつく限りふざけた態度を取り、ボケる。この態度がTwitterにも現れているのである。でも俺は面白い人間でもないから、俺のおちゃらけたツイートのほとんどは滑って流れていく。俺が残したツイートは、誰に読まれるでもなく、誰かに影響を与えるでもなく、自分自身が読み返すこともなく、ただ流れていき、データベースにこびりつくだけだ。果たしてそこに意味はあるのだろうか。ここで、Twitterが含まれるSNSの意味について考えていきたい。SNSは人と人が繋がるコミュニケーションを目的にして開発されたはずだ。俺のツイートたちは人との繋がりに発展しているだろうか。してない。つまりSNSという場では意味がないということになる。言い換えれば、人と繋がることを目的としたツイートをすれば意味があるということになる!

 

お前はSNSを通して誰と繋がりたい!?そう、その人と繋がるためのツイートをするのだ!

 

俺は!!!!!!!!!

みんなと繋がりたい笑

 

だからよろしくね笑笑

ひさびさです。

久しぶりです。ブログを書くのは2ヶ月ぶりらしいです。なんで戻ってきたかと言うと、「自分で文章を書いていると客観的になって気づくことがある」と気づいたからです。みんなもブログやSNSを書いていこう。

ではつまらない近況から。

今年から社会人になりました。IT系です。6月まで研修をしていて、7月から実務に入りました。実務は今のところ、新人だからか手加減してもらえていて、割と簡単です。すでに完成されたシステムのテストとかね。周りはみんな忙しそう。俺も忙しくなっていくかもね。

私生活では絵を描いてます。あ、それについて話すことあったわ。絵を描く人との繋がりが欲しいのと、承認欲求でTwitterのアカウントを作った。それで、ハッシュタグを使って「#絵描きさんと繋がりたい」と自分の絵を添えてツイートしたのね。そしたら6いいねぐらいついたの。ありがたいですね。んで、いいねしてくれた人を全員フォローしたら、なんとフォローバックまでしてくれた人は1人でした。それぞれプロフィールを見に行くと、フォローに対してフォロワーがたくさんいました。つまりこう言うことです。「お前とは繋がる気ないけど、フォローしてくれ」。俺は肥やしにされたわけですね。ハッシュタグでツイートしてる人たちを見てると、大体がこんな感じだ。みんな口では繋がりたいと言っているが、実際は繋がらずに自分の絵を見てもらいたいのだ。俺の見解合ってます?いや違うかもしれない。俺に魅力がないのだ。俺の絵には魅力がない。だから本当の意味で繋がりたい人は来ずにフォローして欲しい人だけが来たのだ。

なんか久々にブログ書いたのに愚痴っぽくなってすいません。

俺はどこのコミュニティに行っても人に好かれない。このブログだって別に伸びてるわけじゃない。理由はわからない。先ほど、文章を書いていると自分について気づくことがあると書いたが、まるでわからない。だから「魅力がない」と俺は結論づけた。いつか理由がわかって改善される日は来るのだろうか。

無償の愛

本来、自分は自分のために生きるべきであって、他人のために生きているわけではない。でも、人間の中には他人のために生きている人もいる。そういう人たちを俺は理解できない。ボランティアで誰かが捨てていったゴミを拾う人などがそうだ。なんで誰かが悪意を持って捨てたもの拾うという尻拭いをしなければならないのだろうか。身近な例を挙げると、家族の愛がそれにあたる。でも前者と違うのは、他人と関係があるかないかということだ。前者は何も関係がない人たちに対して愛を向けているのに対し、後者は家族という関係がある人たちに愛を向けている。これらの無償の愛を知らない他人へ向ける人たちのおかげで俺は快適に生活ができているし、世の中が回っているような気がする。マナーの悪い人たち、自分のことしか考えられない人たち。その人たちが捨てていったものを無償の愛が拾い上げている。もし愛がなくなれば、人はいなくなるだろう。俺は、家族などの関係もないのに、無償の愛を与える人たちを一番に尊敬しています。自分には到底できないことだから。もちろん、家族にも感謝しています。家族から受けた愛のおかげで、俺はまともに成長することができたし、愛を知ることができた。