安田の長文ツイート

ツイッター:@xNelonex

恵まれたゴミ

最近Twitterで、「理解のある彼くん」というワードが流れてくる。それは何かというと、ツイッターなどでよく投稿されている、鬱や育児などで人生に絶望した女性が主人公のエッセイ漫画に登場する男性を指すものである。その男性は漫画でいきなり登場し、主人公の女性に理解を示して寄り添ってくれる。そして支えられることによって女性は希望を見出す。

なぜ理解のある彼くんというワードが横行しているかというと、自分で問題解決せず他人に支えてもらっているという批判と、主人公が女性だったからこそ男性に支えてもらえたのであり、男性であったら誰にも支えてもらえないだろうというミソジニー的な批判があるからだと俺は見ている。

エッセイ漫画ツイートのリプライを見ると、「自分も似たような境遇で勇気をもらえました」など、肯定的なリプライがよく見られるが、引用リツイート欄を見ると「恵まれていて羨ましい」など批判的な意見がほぼ全部である。最近のTwitterでは好意的な意見はリプライし、批判的な意見は引用リツイートをする流れがあるらしい。

俺はネガティヴな性格で物事を悲観的に見る傾向があるので、批判的な意見ばっかり覗いていた。見ていると「私はエッセイ漫画に登場する境遇ほど恵まれてはいなかった」と、いかに漫画ほど恵まれていない人間が多いかを主張しているツイートが多かった。他人の環境がインターネットによって見える化されて比較対象が多くなったことと、精神的にも経済的にも生活が苦しくなった日本人が多くなったことにより、恵まれた他人を僻む風潮が生まれてきているのかもしれない。

俺はそこで苦しい環境で生活している人たちを見ていて気が付いた。俺は恵まれていたんだ。俺は小さい頃から生活に不自由はなく、塾に通わせてもらって大学に行き、浪人、留年、既卒で、無職になりながらも、今も親に支えてもらっている。十分に恵まれた環境であると言えるだろう。

なのに俺は、経歴面では順に浪人、留年、既卒、無職、フリーターと続いてボロボロで、精神面ではメンヘラで「生きている意味がわからない」などとほざいて意味のない虚無な毎日を送り、生活面では朝から晩まで寝て何も努力できていない。

期待してここまで育ててもらったにも関わらず、俺は全部無駄にした。恵まれたゴミ。就職をすることもできないし、前向きな考え方を持つこともできないし、恩返しをすることもできないし、何かを成し遂げることもできないし、子孫を残すこともできない。俺はよく「産まれない方がよかった」と考えているが、周囲から見ても「産まれない方がよかった」だろう。本当にどうしようもない。今はとにかく自立することを考えている。