自分が人生において、何がしたいとか考える前に、一つ考えることがある。
「どうせ死ぬのに」
これは、人によって捉え方が違うだろう。どうせ死ぬなら楽しんで死のうといったようにだ。
俺は死んだら終わりだと思う。何もかも。このブログを書く意味も、何かをする意味も。こういうことを考えるたびにやるせなさが俺の心身を襲い、俺は横になるだけだった。
どこかのサイトでこの一文を見つけた。
「自分が死ぬとわかっているから、何かを後世に残したい。」
俺は反論したい。残したからといって、残したことを死んだ後に確認できるか?
「死ぬ」ということは、自分にとって文字通り全て消えることだと思う。
家族を残すことも意味がわからない。
子どもを作ったから何だというのか。
子孫を作るという野生に従っただけじゃないか。それに、死ぬときは一人だ。だって、死んだ時周りには誰もいないんだから。人間は理性を持ってしまった。
もしかして、理性に従うほど、人間は息苦しくなるのではないか?
こうやって生きる意味とか、死んだ後のこととか考えること、すなわち理性に従うことが人を幸せから遠ざけているのではないか。
野生に従うことが幸せ?
現に野生から遠ざかっている先進国は発展途上国よりも幸福度が低いらしい。
食べて、寝て、子孫を作る。野生動物と同じように過ごすことが、幸せな人生を送るコツなのではないか?
気づいちゃった!書いて整理することって大事ですね。